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舞踊

舞踊を通じて身体が表現する精神の世界を語りたい。

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盛重型で分ける意味 
 先日琉球舞踊保存会が主催する伝承者研修成果発表会に参加した。そこでは、先達の芸を検証する目的で明治以降に活躍した主だった舞踊家を頂点とした型伝承の系譜が示され、それに基づいて、型の系列が分類されていた。
そこで行われた系列分類の一つ盛重型の分類の仕方に疑問がある。

玉城盛重から伝承された盛重型という分類は根拠が薄い 
 玉城盛重から伝承された盛重型という分類は根拠が薄いものと私は捉えている。
 これは国場盛保師(故人・盛重の弟子)から聞いた話だが、昭和11年の日本青年会館に於ける御冠船舞踊の公演の際、依頼を受けた盛重は衣装その他諸事情で自分の弟子だけでは公演メンバーの組織の対応が出来なかった。そこで芝居で活躍していた役者達に声を掛け、以後盛重の弟子として稽古を続けるという約束を交わし、出演メンバーが決まったという。国場師の話に拠れば、公演後は現在のような頻度で盛重のもとで稽古が行われることはなかったということだった。それは、役者というプロの活動がある中ではやむを得ぬことで、理解もできる。
 したがって、盛重型の分類で踊った7団体の踊り方を「一人の人からの型がこれほどまで違う」という見解で論を進めるのには無理があると思った。現在のような稽古システムで盛重という一人の師匠から伝承された型ではないのだから・・・。
そして7名の保持者の方々のお話も、当然のことだが盛重からの伝承ではなく、それぞれの直接の師匠(盛重の弟子とされている人達)からの伝承について話されていた。
現在の保持者の直接の師匠で分類した方がよいと思った。
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  1. 2014/01/27(月) 08:39:50|
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何故型は変化するのか
 よく言われることが、身体を通しての伝承だから、体格、性別、考え方、稽古の頻度、・・・、個性・・・などだ。また、師匠や弟子の伝承時期なども要因として言われる。しかしそれらも型の変化の一因ではあるが、根本的な理由にはならないのではないだろうか。
舞踊の動作を決定する要因は色々ある。「体中に張り巡らされるエネルギーの使い方」もその一つだ。琉球舞踊で伝承されているそのエネルギーの使い方の代表的なものが、ガマク、ムチミ、チンクチである。しかし、それらは実質的には「失伝」している。

「自分が習ったつもりの型」を基本的にそのまま採用している
 「自分が習ったつもりの型」から分解を考えるだけなのである。
  琉球舞踊において、伝承者(1)たちに今伝承されている型は「保持者(2)自身が習った型」である。
「保持者自身が習った型」(習ったという意味をもっと掘り下げて考える必要がある。そして、それは本当に彼等の師の型なのかということも必検証)ではなく、もう一度『芸術祭総覧』(3)に既述されている型で検討すべきではないか!
 どうしてかというと、保持者自身の型は「自分が習った型」ではなく「自分が習ったと思っている型」だからだ。これは、一人保持者だけに言えることではなく舞踊を継承しているもの全てにあてはまることだが、師匠から受け継いだ時、自分の舞踊に対する認識がどれ程のレベルだったかを考えればそれは明らかだ。
 
 型を知っているだけでは不十分なのであり、合せて、その「真の分解」も教わらなければ、本当の意味での型の伝授を受けたことにはならないのである。
 自分の師匠はどのような考えで、そのような型で踊っていたのか、その考察を遡って、冠船踊りまで辿りつけば、型の真の分解は可能かもしれない。しかし、実際にはそのような追求は不可能だ。踊りは生の体で表現する芸術であるから冠船踊りが再現出来るはずもないからだ。
 現代の我々ができることは、せめて、『芸術祭総覧』に既述されている型を吟味することではないか。
 『芸術祭総覧』に既述されている型は、型についての研究会が組織され、組織のメンバーには冠船役者達(4)から踊りを習い、あるいは彼等の踊りを見た経験を持つ人達も入って構成され、その研究会で話し合われ、まとめられた型だからである。彼等は、「琉球舞踊の型は一つ」という信念の元に、話し合っている。少なくとも現在のように、「「自分が習った型」の主張ではなく、「型は一つ」の「一つ」を追求して得た型だからである。


(1)国指定になった琉球舞踊には、琉球舞踊を存続させるために、技能を伝承していくシステ
ムがある。技能保持者が認めて者で、それらの技能を継承しようとする舞踊家の呼称。
(2) 国指定になった琉球舞踊の舞踊家の中で、その技能を保持していると国が認めた舞踊家の呼
称。
(3)先に本ブログに掲載済み。
(4)沖縄が琉球王国の時代、中国の冊封体制下にあった。冊封を行うために使わされる中国の役人を冊封使といい、王として認める書簡と王冠を持参し船で来沖した。冊封使の乗ってくる船は王冠を運んでくるので冠船と呼び、冊封使の歓待のために様々な宴が催された。宴には舞踊の宴があり、その宴の踊りを冠船踊りといい、王府解体後そこで踊っていた人々冠船役者と呼ぶこともあるのでここではその語を採用した。
  1. 2014/01/27(月) 08:17:26|
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